「就職」
5年前、僕は沖縄にいました。本土とは違う亜熱帯気候、白い砂浜にエメラルドグリーンの海。そこにダルクがありました。
名古屋で薬物が止まって2年半、沖縄ダルクのスタッフになりました。そこには20人位男の仲間達がいました。
僕の役割は1日2回、ミーティングの司会や日用品の買い出し、そして仲間の送迎、ナイトケア・ハウスに寝泊まりすることでした。
時には夜中に仲間を病院に連れて行くことや、警察沙汰になって仲間を迎えに行き、たまに殴りかかってこられる事もありました。
毎日ヘトヘトでした。ダルクから逃げだし、古い生活に戻る人もいましたが、元気になっていく人たちもいました。
3年間の沖縄での勤務後、僕がリハビリを受けた名古屋ダルクで働けることになりました。しかし名古屋ダルクにはお金がありません。
仲間と共にミーティングに参加しつつ、カトリック教会や行政、支援者の人たちに会いに行き、ダルクの運営資金を寄付して下さいと、お願いにいきました。
当初、初めて会う人にお金をくださいとは中々言えませんでした。世間話をして帰ってくる日もありました。人に言葉を伝えることが苦手な僕にとってとても勇気のいる事でした。
あれから2年が経ち、僕は今も仲間とダルクで過ごすことができています。皆様に心から感謝しています。
最近は助成金等の書類を申請したりもしています。今いる仲間も少しずつ元気になったり、再度リハビリを始めたり、何キロも走れるようになったり、アルバイトを始めたりしています。
依存症のダルク職員として、僕にできることを「今日一日」ベストを尽くし、続けていきます。
これからも名古屋ダルクを見守っていて下さい。
名古屋ダルク
柴 真也
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