いやしを求めて第3号 ダルクの仲間たち (1)


 

 みなさまには、ダルク後援会に変わらぬご協力をいただきありがとうございます。このたび、いやしを求めて第3号「ダルクの仲間たち」を作りました。ここには今日までの8年間名古屋ダルクを通過した人、戻ってきた人、現在、止まっている人の声があります。それは、私には、8年前まで全く知らなかった若者たちの姿でありました。私は、「隣人」の呻き声を聴いていなかったのでありました。
 「今」、彼らの声を共感できているかどうか心もとありませんが、彼らの仲間になれたらと願っています。
 どうぞ、みなさま、彼らの生の声をお聴きください。
ダルク後援会 竹谷 基


 

 歳の瀬も迫り慌ただしいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
 いつも心温まる細やかなお心遣いをして頂き、深く感謝しています。様々な思いを残して平成7年の幕が降りようとしていますが、今日までの一年、ダルクを支えて頂きありがとうございました。
 お陰さまで東京から始まったダルクの活動は今年で10年が経ち、現在全国で8か所のダルクが誕生し活動しています。各ダルクの責任者は皆薬物依存症者であり、それぞれがダルクで育ち各地へダルクの活動を広めていっています。わが国では、薬物依存症における回復施設はダルクの他は無く、苦しんでいる薬物依存症の人達にとって甚だ心許ない状況が続いています。
 皆様も御存知のことと思いますが、名古屋ダルクは開設当初のままの小さなスペースしかなく、入寮希望者を充分に受け入れることが出来ないまま現在に至っています。また、運営も絶えず自転車操業が続いて、ハラハラドキドキの連続でした。今年開設して7回目のクリスマスを迎えられた事は、奇跡としか思えません。皆様に支えられ、ご理解頂いた事を本当に感謝しております。
 桜の花が咲く頃、何人かの人達が社会に巣立って行きました。彼らの中には人生の大半を精神病院と少年院で過ごした人も居り、社会への不安も並大抵では無かったはずです。こういう瞬間があるからこそ「ダルクを続けて行こう」と思います。
 紫陽花が七色に変わる頃には、冬にダルクを訪れた外人が覚醒剤取り締まり法違反で逮捕され刑務所に戻りました。日本国籍を持たない彼には援助してくれる所は無く、皆様から寄せられた献金のお陰で、短期間でしたが彼の命を支えることができました。
 蝉しぐれの中、元気な太陽に負けることなく、私たちは体力づくりのジョギングに健康的な汗を流し、薬なしの暑い夏を体験しました。
 秋風が吹き始めて新しいメンバーが入れ替わり立ち替わりダルクを訪れました。特に、通所してくる若い女性のメンバーが多くなり、多種多様の薬物の蔓延が感じられました。ダルク後援会でも、「感謝の集い」や「チャリティーコンサート」などの開催によりダルク支援活動を行いました。これらの催しも年々盛会になってきており、活動の広がりを実感しています。
 街路樹にイルミネーションが灯りジングルベルの音と共に、名古屋弁護士会からの朗報が届きました。
 名古屋ダルクは、薬物依存症者のためのリハビリセンターとして、一人一人の人格を尊重した共同生活を通じて、薬物からの脱却・社会復帰を進めるための活動をし続け人権擁護に果たした功績を認められ、『第7回名古屋弁護士会人権賞』を頂く事ができました。
 この表彰は、名古屋ダルクだけでは無く、支えて下さいました皆様お一人お一人へ贈られた『人権賞』受賞だと思います。改めて心よりお礼申し上げます。
 最後に、名古屋ダルクでは今年も若者4人が薬物依存症のため、天国に召されました。また、私事ですが長年苦労を掛けた父を亡くしました。彼らの命をかけてのメッセージが私達を支えたのは言うまでもない事です。
 冴えた陽が年の瀬を見守る今、この一年支えて下さった事を感謝し、平成8年の一日一日が皆様方にとって新鮮で彩りに満ちているそんな年でありますように、心よりお祈り申し上げます。
 感謝の内に。(1995年大みそか)
名古屋ダルクディレクター 外山 憲治


つづく


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